20年ぶりに観たトラウマアニメ
久々に普通の日記でも。今日、約20年越しに『火の鳥・鳳凰編』を見ました。
あれはまだ小学校1年生の頃・・・当時の僕は女の子しか友達が居ないプレイボーイでした。いや、男の子には虐められてましたね(笑)。担任の先生には知恵遅れだと思われていたし。運動が出来るけど勉強はダメでした。小学校2年生でファミコンを買って貰い、メガネをかけてから、運動がダメな代わりに勉強が出来て絵が描ける少年にクラスチェンジしました。
・・・まぁ、どうでもいい。とにかく、よく女の子の家にお呼ばれして遊んでたんですよ。そもそも母子家庭で兄弟は姉だけだし、従姉妹も女の子ばかり。主な遊びは『お人形遊び』だったから、女の子との付き合い方が解ってた分、男の子との付き合い方が下手だったんだろうな。今もクマのぬいぐるみに囲まれて暮らしてますけど・・・。
・・・まぁ、どうでもいい。そう、その日はクラスメイトのH奈ちゃんの家に遊びに行きました。で、お母さんがビデオを観ましょうと言いだし、アニメのビデオを流し始めたんですね。それが『火の鳥・鳳凰編』だったんです。当時、我が家にVHSが無かったんで、観たいときにアニメが観られるなんて衝撃でしたね。
「だったんです!」とか言ってますが、実は数年前まで作品名は知らなくて、断片的なシーンの記憶しか残って無かったのです。それで掲示板なんかで、「日本の古い時代が舞台で、白い女の人が出てくる」「主人公に纏わり付いてくる女の子が刀で切られる」と、覚えてる映像を書き連ねて、「そりゃ火の鳥・鳳凰編だよ」と教えて貰ったんです。で、いつか観たいな~と思いつつ月日は流れ、今日やっと観たわけです。
ちょうど『まどか☆マギカ』が残虐表現で「トラウマだ~」と騒がれてたので、そういや自分にとってトラウマとなった作品が有ったな・・・と、それを今一度掘り起こしてみるなら今かな、と思ったのかも。いやねぇ・・・どうもこの作品、自分の様々な性癖のルーツの様な気がしてならないんです。
というのもこの作品、小学校1年生の子が観るべきモノじゃないのです。子供にはストーリーが複雑で理解し辛いというのも有りますが、特筆すべきはエログロ描写ですね。主なエログロはというと・・・
まず、彫り物師の主人公が山中で飯食ってたら、片腕の山賊のお頭に出会ってしまい、「五体満足が気に入らねぇ!」と、腹いせに右腕を切り裂かれる。なんという理不尽・・・。
そして山賊のお頭は、山中で白髪で雪のように真っ白な肌の娘と出会います。即レイプ。着衣をはぎ取られ、乱暴されて突っ伏した真っ白い尻に、アルビノ萌え属性が植え付けられます。
さらに強姦された美白娘は何故か山賊を好いて一緒にに暮らします。レイープされて好きになっちゃうとか、それなんてエロゲ?って世界です。その正体は昔山賊のお頭に助けて貰い、恩返しにやってきたテントウムシという・・・。よく解らないけど、異種族恩返し属性植え付け完了です。
その後、美白娘が自分を殺そうとしたと勘違いしてしまったお頭は、美白娘を滅多切りにして死に至らしめる。ここはグロ描写は薄く、どっちかというと芸術的エロパート、白い柔肌を伝う鮮血描写にゾクゾクしました。
一方その頃、鳳凰を求めて旅を続ける主人公。そこへ何故かまとわり付く世話焼き娘は褐色ロリ巨乳属性。しかも、おちんちん丸出しの小便小僧がエンカウントすると、自ら尻を丸出しにして応戦する露出狂でもあり。
さらにお役人に追われ、挙げ句の果てに自慢のオッパイを串刺しにされて死亡。そう、美白テントウムシ娘といい、褐色ロリ巨乳と良い、乙女の柔肌に刃を突き立てるという映像表現は小学生の目に強烈なインパクトを与えました。そしてさらに、当時の僕はそこに単純な暴力性・残酷性だけでなく、エロスを感じ取ってしまったワケです、ハイ。
その後、無実の美白ちゃんを殺しちゃった事に絶望したお頭さんは彫刻家になりますが、ただでえ片腕なのに、残った腕も切断されます。無残に床に転がる腕。血を滴らせながら路頭をさまようお頭。彫り物師の主人公も焼死した挙げ句、来世では魚にされる刑です。
・・・と、とにかく理不尽で不可解なまま終わる物語。エログロ抜きにしても、おとぎ話の美しき起承転結と、戦隊モノの勧善懲悪しか知らない子供心には、何とも言えない後味の悪さでしたね。
勿論、今では様々な映像作品が有りますし、インターネットのおかげでハードコアエロ動画から死体写真まで、自分から求めていけば瞬時に出会えてしまうご時世ですんから、この作品のエロ度グロ度合いは、今更特筆すべき程では無いです。
しかし、当時は小学1年生。まだ何色にも染められていない真っ白いシーツのような心なのです。しかも、アニメというと子供向けの媒体(と当時は当然思ってた)での暴力や性表現・・・しかもクラスメイトの娘の隣でそれを見る気まずさ・・・。
いや違うな。たぶん、ココに書き並べてる程細かい感情は当時は無かった。ほんとに無垢だったから。たかだか1時間とはいえ、矢継ぎ早に飛び込んでくる衝撃映像や理不尽ストーリーを租借しきれず飲み込めず、ただそのインパクトだけを心に刻み込んだような感じだと思います。
ちなみにアニメの『火の鳥・鳳凰編』は、原作漫画の火の鳥でいうとほんの一部を掻い摘んでいるもので、アニメだけ観ちゃうと理不尽に思える部分にもきちんと因果が有る。また、原作ファンからするとアニメは不満な点も有るみたいです。そいで、僕は原作は読んでません。読みたいですけど。
あくまで、この日記の内容は、僕と『火の鳥・鳳凰編』という一本の映像作品に込められた性描写・暴力表現に関する思い出話なので、あしからず。